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『鯨志』

 上野文庫にある『鯨志』(1760)は、薬種商人で本草家でもあった梶取(かんどり)屋次右衛門に手になるもので、最古のクジラ本草『西海鯨鯢記』(1720)や『鯨記』(1764)などそれ以前の写本系のテクストと違い、印刷出版された最初のモノグラフである。本草の伝統に従い薬効を分析しながらクジラを哺乳類と認めるなど、直接観察した事実に多く依拠する近代的な傾向を持つ。『鯨志』の図は紀州に伝わる図版を基準にした正確なもので、ヨーロッパでは19世紀になっても簡単な記述しか現れないシロナガスクジラも「那加思古矢刺(なかすくしら)」という名称で描かれる。シーボルトはこの書物を入手し鳴滝塾生に翻訳させたうえで、帰国後は原図を専門家に鑑定させたという。この図の正確さは、捕鯨を営む沿岸地方で蓄積された数百年にわたる観察の賜物であり、同時代のヨーロッパ系の図版と比べても比較にならないほど正確である。日本列島の各地で営まれた大型捕鯨やイルカ漁など小型捕鯨は、クジラ関係本草学に圧倒的な分量の観察記録や利用法に関する専門知識を提供した。

上野文庫
 本草学は植物、動物、鉱物など自然産物の形態的特長と薬効を記述する中国に起源を持つ学問である。日本では7世紀ころからすでに中国の古典解釈というかたちで研究がなされていた。17世紀初頭に中国から『本草綱目』が輸入されたことを契機に本格的研究が始まり、多くの本草学関係書籍がうまれている。上野文庫は本草学史研究の泰斗上野益三(1900-1989 甲南女子大学・京都大学名誉教授)が収集した文庫で、17世紀から西洋の博物学が本格的に流入する明治期までの書籍1000点以上を誇る日本屈指のコレクションである。
 本草学には自然界を網羅的に記述する総合志向と、個別テーマに専門化する傾向が並存する。上野文庫には総合的本草はもちろんだが、専門化した分野の本草学書籍が多く含まれている。そのほとんどが具体的な観察記録と精密で美しい図版を特徴としているが、なかでも最も顕著な専門化を経験した分野がクジラ関係の本草学である。

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