歴史
1955年(昭和30年)~
学園の沿革
1955年 (昭和30年) |
甲南女子短期大学開学。家政科を開設(定員40名)
初代学長・池田多助は「中学・高校で甲南常識を、短大で甲南良識を」と考えていた。 学生自治会「清光会」発足。 |
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1956年 (昭和31年) |
短期大学に国語科を開設(定員40名)。 |
1958年 (昭和33年) |
第5代中高校校長、第2代学長に山本栄喜就任。学園の教育精神を「まことの人間をつくる」ということばにまとめ、「聖座」や「ハイ」の実行に哲学的意義を付与した。
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1960年 (昭和35年) |
国語科を国文科に改称。 |
創立40周年記念式典挙行。 | |
1961年 (昭和36年) |
理事会にて創立40周年記念事業として、学園拡充計画を決定。内容は敷地買収と短大学舎新築及び中学校・高校学舎改築。 |
育友会会長らが4年制大学設置を理事長・学長に強く要望。学園拡充計画は大学建設と新学舎建設の第2次計画に移行。 | |
1963年 (昭和38年) |
甲南女子大学設置認可(文学部国文学科2・3年次、英文学科2年次同時認可)。 |
1964年 (昭和39年) |
短期大学国語科廃止。 |
本山町森字坂下町14(現所在地)に甲南女子大学開学。
文学部に国文学科と英文学科を設置(定員各100名)。 初代学長は短期大学長である山本栄喜が兼任。 短期大学は現所在地の新学舎に移転。この地を清心台と称す。 |
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中学校入学定員を160名とする。 | |
大学開学式挙行。 | |
1966年 (昭和41年) |
第1回シェイクスピア祭(英文学科)。
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1967年 (昭和42年) |
清心寮(122名収容)竣工。(大学) |
1968年 (昭和43年) |
中学校・高校、本山町森字山田4(現所在地)の新校舎に移転。その地を和光台と称す。 |
同窓会館「清友園」竣工。
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1969年 (昭和44年) |
山本栄喜が校長を退任。後任は元高津高等学校長の有光募(第6代)。
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1970年 (昭和45年) |
創立50周年記念式典挙行。 |
1971年 (昭和46年) |
大学司書課程設置。 |
第1回国文学夏期講座開催(毎年1回開催し、第14回をもって終了)。(大学) | |
『大学だより』『学生部ニュース』創刊。(大学) | |
1972年 (昭和47年) |
山本栄喜学長退任(10日退任式)第2代学長・第3代短期大学長に鰺坂二夫。
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第1回家政科生活科学講座開催(3回で終了)。(短期大学) | |
1973年 (昭和48年) |
中学校入学定員を180名(1学級45名、4学級編成)とする。 |
大学推薦入学試験開始。 | |
第7代校長に鰺坂二夫(大学長・短期大学長兼任)。 | |
1974年 (昭和49年) |
「英語科」新設に伴い大学2号館竣工。 |
短期大学を短期大学部に改称、短期大学部に英語科を開設(定員120名)。 | |
黒部山の家(長野県大町市郊外)竣工。
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神戸市建築文化賞受賞。(大学) | |
1975年 (昭和50年) |
「人間関係学科」新設に伴い大学5号館竣工。 |
大学院文学研究科(修士課程)国文学専攻・英文学専攻(各5名)開設。 | |
文学部に人間関係学科を開設(定員100名 心理学専攻、教育学専攻、社会学専攻)。 | |
学芸員課程・社会教育主事課程設置。(大学) | |
大学体育館(猪崎記念体育館)竣工。
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大学開学十周年記念式典挙行。 | |
1976年 (昭和51年) |
六甲山学舎開設。
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大学新図書館(阿部記念図書館)竣工。
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大学キャンパス内に松影寮(56名収容、現クラブハウス)竣工。 | |
清友会(同窓会)創立50周年記念式典挙行。 | |
1977年 (昭和52年) |
大学院文学研究科博士後期課程国文学専攻・英文学専攻(各2名)開設。 |
第8代校長三輪和敏就任。
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中学校・高校第2特別教室棟竣工。 | |
大学6号館竣工。 | |
1978年 (昭和53年) |
第5代理事長芦原義重就任。
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文学部にフランス文学科(定員40名)を開設。 | |
中学校・高校帰国子女受入れ開始。 | |
大学第3学生会館竣工。 | |
甲南女子高校研究紀要創刊。 | |
第1回時代衣装着装会開催。(大学) | |
大学新「松影寮」竣工(108名収容)これにより保久良寮閉寮。
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1979年 (昭和54年) |
大学院文学研究科修士課程社会学専攻・教育学専攻(各5名)開設。 |
第1回フランス語夏期公開講座開催。(大学) | |
大学4号館(芦原記念総合研究館)竣工。
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