立石垂穎著『大日本沙汰文』の版木
片面に二丁分を彫る二丁掛(にちょうがけ)で、両面では四丁分ある(四丁張)。全14枚(推定)のうち、7枚を所蔵(奥付を含む)。横の長さ88cm 前後(左右両端に組み付けたはしばみを含む)、縦の長さ22.5~23.5cm、厚さ1.5~2cm。『大日本沙汰文』は、寛延2年(1749)に成立、宝暦8年(1758)に浪華心斎橋筋の版元、北田清左衛門によって刊行された。著者、立石垂穎(たていし・すいえい。たるひで、たりほ)は元禄15年(1702)~明和4年(1767)。和泉国日根郡岡本村(現在の泉佐野市南中岡本)の人で垂加神道を信奉した。