2020
甲南女子学園が創立100周年を迎える
2020
東京オリンピックが延期
2020
Web会議サービス「ZOOM」が台頭、「ZOOM飲み」流行
2020
新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大による緊急事態宣言発令、外出自粛が続く
2019
元号が平成から令和に改元
2017
ドナルド・トランプが第45代アメリカ合衆国大統領に就任
2016
熊本地震
2015
安全保障関連法成立
2012
ロンドンオリンピック
2011
東日本大震災
2011
東京スカイツリー竣工
2010
アラブの春
2010年代、TwitterやFacebookをはじめとするSNSが台頭。2010年にアラブ世界で起きた大規模な反政府デモ(アラブの春)では、SNSを通した抗議活動への呼びかけが大きな役割を果たした。スマートフォンの普及にともなって、2016年には国内でのSNS普及率が70%を超え、なかでも20代は90%以上が利用。個人とアカウントが強く結びつき、バーチャル上でのコミュニケーションの機会が増加した。不特定多数の人々に手軽に情報発信できることから、個人対複数の新しいコミュニケーションのあり方が生まれている。
2012年に中学・高等学校の新校舎が竣工。「風と光と緑の学び舎」をテーマに6学年各5クラスの全校生徒がひとつの空間で過ごせる校舎が完成した。2018年、大学に医療栄養学部医療栄養学科を開設。同じく2018年に大学の新校舎として10号館が竣工した。
ほかにも… 2010年 図書館とメディアセンターを統合、2019年 中学・高等学校グラウンドを人工芝化
我シェアする、ゆえに我あり。
人類一斉画像共有時代の「私」
Instagramの普及によって、世界中の人が大々的に画像中心のコミュニケーションをとる事態は人類史上初のこと。女性たちは「盛れる」「インスタ映え」といった言葉とともに、この新しい状況にいち早く反応した。
Instagram、Twitter、LINE、メルカリ、pepper、SNOW
参考:平成29年度情報通信白書、『日本大百科全書』(2001/小学館)、千島土地株式会社設立100周年記念誌(千島土地株式会社/2012年)、電通「広告景気年表」Webサイト
2009
バラク・オバマが第44代アメリカ合衆国大統領に就任
2008
リーマン・ショック
2004
新潟県中越地震
2003
イラク戦争
2002
FIFAワールドカップ・日韓大会
2001
アメリカで同時多発テロ
インターネットが急速に普及していった2000年代。「インターネット時代になって初の重大事件」とも言われるアメリカ同時多発テロ事件では、情報の多くがメールやWebサイトといったデジタルデータでオンライン上に残された。世界的な事件が紙で残されていた従来の資料の収集・保存の手法に、大きな変化を及ぼした。日本では、2001年に総務省が「ブロードバンド元年」を掲げ、この10年間でインターネットが高速化し普及。ブログや動画共有など、個人間でのコミュニケーションにインターネットを利用する時代が到来した。
2006年、文学部にメディア表現学科が開設。文字、画像、音、動画、身体などを用いた表現への関心を基盤に、メディア表現と人・社会の関わりや及ぼす影響を研究する。2007年、中高普通科新コースを設置。Sアドバンストコースとスタンダードコースの2コース体制となった。
ほかにも… 2001年 文学部に多文化共生学科を開設、2004年 Campus Squareによるシラバス閲覧と授業登録開始
mixiを通して女性がインターネットを
日常的に使用。「mixi疲れ」も発生
日本のSNSのはしりであるmixiがわずか2年間で500万ユーザーを超えた。利用者の半分以上を占める女性たちが、インターネットを日常的に使うきっかけに。その後、「mixi疲れ」という言葉を生むなど、SNS特有の人付き合いの難しさも多く人が体験することになった。
カメラ付き携帯電話、ブログ、たまごっちプラス、着うた、mixi、Facebook、3Dプリンタ
参考:「ザ・セプテンバー11・デジタル・アーカイブ」Webサイト、平成26年版情報通信白書「日本におけるインターネットの人口普及率」、Wired「デジタル時代の子どもたちは、絵文字からも「言語」を学ぶ」Webサイト、千島土地株式会社設立100周年記念誌(千島土地株式会社/2012年)、電通「広告景気年表」Webサイト
1999
2000年問題
1999
EU単一通貨、ユーロ導入
1998
長野オリンピック
1997
神戸連続児童殺傷事件
1995
地下鉄サリン事件
1995
阪神・淡路大震災
1993
EU(欧州連合)発足
1991
湾岸戦争開始
1990
東西ドイツ統一
1990年に東西ドイツが統一し、1991年にソ連が解体したことで、大国間の分断は緩和され、グローバル化の波が訪れた。世界でインターネットの普及が進むなか、日本では、ポケットベル(ポケベル)が女子高生を中心に流行。724106=何してる?、106410=TELしてなど、語呂合わせを使った定型文のメッセージのやり取りが行われていた。1995年になるとPHSサービスが開始。通話や長文メッセージの送受信ができ、より複雑なやりとりが可能となった。また同年にはWindows95が発売され、パソコンが普及。
ラジオやテレビ、コンピュータなどの発展に伴って、1992年には図書館北側に8号館(メディアセンター)が完成。コンピュータ教室やマルチメディア教室、CALL教室、パソコン実習室のほか、後にテレビ番組収録が可能なAV制作スタジオ・編集室も設置された。
ほかにも… 1992年 芦原講堂にパイプオルガンが完成、1995年 阪神・淡路大震災によって中・高校が避難所に、1998年 国際子ども学研究センター開設
HIROMIXとコンパクトカメラの登場にみる、
女性の私的表現としての写真=ガーリーフォト
1995年、キヤノン写真新世紀の年間グランプリに選ばれたのは、当時19歳のHIROMIX。彼女はコンパクトカメラを用い、自身や周囲の状況を撮影したスナップ写真を作品として発表。それを皮切りに、カメラを使いこなす女性が自らの感性で日常を撮影していくようになった。
ミニディスク、ポケットベル、プリント倶楽部、たまごっち、ドラえホン、ポケットピカチュウ、ファービー、AIBO
参考:一般財団法人情報通信振興会Webサイト、写真新世紀 Webサイト 、千島土地株式会社設立100周年記念誌(千島土地株式会社/2012年)、電通「広告景気年表」Webサイト
1989
天安門事件
ベルリンの壁崩壊
冷戦終結
1986
チェルノブイリ原発事故
バブル景気
1985
プラザ合意
1983
ロッキード事件
1989年、冷戦中の東ドイツの国営放送で「事実上の旅行自由化」とも取れる会見が生放送されたことをきっかけに、東西ベルリンの住人が国境へ押しかけ、混乱のなかでベルリンの壁が崩壊。世界中のメディアが、その様子を報じた。一方、バブル景気に湧いていた日本では、持ち歩ける電話として、1985年にショルダーフォン、1988年にはさらに軽量化された辞書型の携帯電話が発売されていた。高額な商品にも関わらず、持つこと自体がステータスとして見なされ、一世を風靡。どこにいても誰かとつながれる時代の幕が開けた。
1987年に大学の英語名称を「College」から「University」へ変更。1988年には建築家・村野藤吾が当大学で最後に手がけた建築、芦原講堂が竣工。講堂内に設置された西日本最大級と言われるパイプオルガンは、阪神・淡路大震災で崩壊したが、約3年をかけ修復。
ほかにも… 1980年 大学院文学研究科修士課程心理学専攻開設、1984年 大学第4学生会館竣工、1985年 皇太子殿下、皇太子妃殿下(現上皇陛下、上皇后陛)行啓
女子中高生の書き文字に見る時代性。
丸文字と松田聖子と少女漫画
女子生徒・学生による流行や、そこに表れる時代性は、ファッションやメイクと同様、書き文字にも強く反映されている。1970年代に誕生した「丸文字」は1980年代に隆盛期を迎え、アイドルや少女漫画家などが用いたことで、さらにブームが拡大していった。
ファミリーコンピュータ、テレホンカード、使い捨てカメラ、コードレス電話、テトリス
参考:『ドイツ再統一 分断から統一まで』(本村実和子/リーベル出版/1993年)、NTTドコモ歴史展示スクエアWebサイト、au「ケータイ図鑑」Webサイト、千島土地株式会社設立100周年記念誌(千島土地株式会社/2012年)、電通「広告景気年表」Webサイト
1976
南北ベトナムが統一
1973
第一次石油危機
1972
沖縄が日本に返還
1971
ドルショック
1970
日本万博博覧会
1973年、第四次中東戦争をきっかけに原油の生産が削減された。これによるオイルショックで、中東からの安価な原油に頼っていた先進工業国は打撃を被り、日本では石油関連製品の買い占めなどが起こった。郵政省からは電力節減対策として、メディア関連ではテレビの深夜番組の自粛が呼びかけられていた。また1970年代を中心に『SEVENTEEN』『an・an』『non-no』『JJ』『MORE』などの女性向け雑誌が創刊。ファッション、恋愛、ダイエット、映画、占いといった、若年層をターゲットにした多様な切り口が話題となった。
実際に役立つ語学能力と国際的視野を持つ人材を育てるため、1974年、短期大学部に英語科、1978年、大学に文学部にフランス文学科を開設。1977年、中高に第二特別等が竣工した(1階は工芸教室とその付属倉庫、2階は第1・第2音楽教室および5室のピアノ練習室)。
ほかにも… 1970年 中高茶室竣工、1975年 大学5号館竣工、大学体育館(猪崎記念体育館)竣工、1977年 大学6号館竣工、1978年 大学第3学生会館竣工
一人旅ブームで生まれたアンノン族、
見過ごされてきた未踏の地=地方を再発見
大阪万博の終了直後、国鉄によるキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」を受け、旅特集を各女性誌で展開。「女性の社会進出」という背景も相まって、「アンノン族=個人の国内旅行を楽しむ女性たち」が、これまで見向きもされなかった地方のスポットを開拓していった。
ボウリング、超能力ブーム、ナウい、『未来少年コナン』、『機動戦士ガンダム』、山口百恵、ピンク・レディー
参考:『日本メディア史年表』(土屋礼子/2018/吉川弘文庫)、『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』(ブリタニカジャパン/2013年)、朝日新聞「(昭和史再訪)アンノン族の登場 46年 旅先の物語、主人公は私」(2014年4月14日夕刊)、千島土地株式会社設立100周年記念誌(千島土地株式会社/2012年)、電通「広告景気年表」Webサイト
1968
学生運動が東京大学安田講堂占拠で頂点に
1967
EC(欧州共同体)設立
1964
東京オリンピック
1962
キューバ危機
1960
ベトナム戦争
1960年、ベトナム戦争が勃発。被害の状況が生中継を含め、その日のうちにテレビで報道されるようになり、戦争当事国のアメリカでは草の根の反戦運動が盛んに。ヒッピー、フラワームーブメントといったカウンターカルチャーへとつながった。日本でも、1959年の皇太子御成婚パレードに合わせて急速にテレビが普及しはじめ、1965年には白黒テレビの普及率は約90%に。1969年のアポロ11号の月面着陸では62%、1972年の浅間山荘事件では89.7%の視聴率を叩き出し、国民がテレビを通してひとつの話題を共有した。
1964年、甲南女子大学開学。国文学科と英文学科からなる文学部が設置され、中学・高等学校から続く甲南の品格に高度の知的修練を加え、国際的に発展する日本のトップレディーとして恥ずかしくない女性の育成を目的とした。1968年に中学校・高校は本山町森字山田4(現所在地)に移転。
ほかにも… 1964年 短期大学は本山町森字坂下町14(現所在地)の新学舎に移転、1975年 大学5号館竣工、大学体育館(猪崎記念体育館)竣工、1977年 大学6号館竣工、1978年 大学第3学生会館竣工
家電の普及と、
主婦向けテレビ番組の隆盛
三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)の発達と普及によって、戦前と比べて家事時間が約2時間短縮。主婦層の娯楽時間が増加したことで、主婦をターゲットにしたワイドショー『ただいま正午・アフタヌーンショー』、昼の帯テレビドラマ『愛の劇場』などが放送されていた。
プッシュホン、カラーテレビ、ラジオ付きカセットテープレコーダー、オフィスコンピューター
参考:昭和62年版通信白書、『日本メディア史年表』(土屋礼子/2018/吉川弘文館)、千島土地株式会社設立100周年記念誌(千島土地株式会社/2012年)、電通「広告景気年表」Webサイト
1955
日本の高度経済成長
1951
日米安全保障条約
1951
サンフランシスコ平和条約
1950
朝鮮戦争
1949
中華人民共和国が建国
1946
日本国憲法公布
1945
国際連合が発足
1945
ポツダム宣言受諾、太平洋戦争終結
1945
広島・長崎に原爆投下
1941
太平洋戦争
第一次世界大戦ではビラやポスターが用いられていたが、第二次世界大戦では、国民を戦争へと導き、あるいは敵国兵士の戦意を削ぐ、プロパガンダ戦が重視され、当時普及していた即時性が高く臨場感のあるラジオを使用。また個人間のやり取りでは、本土と兵士たちをつなぐ唯一の手段として軍事郵便が用いられていた。本土からは、手紙や日本の風景などが描かれた絵葉書が送られた。兵士から本土へ送られる手紙には、従軍画家などによって外地の景観や風俗、兵士たちの日常が描かれ、現地の状況を知ることができた。
1942年、家事科・裁縫科に重点を置き、そのほかに修身・教育・国語・家政・理科・法制経済・商業簿記の7科目のカリキュラムを持つ専攻科を設置した。しかし、学徒勤労令による動員のため専攻科で退学者が続出。1945年には、神戸大空襲により全校舎が焼失した。
ほかにも… 1947年 甲南女子中学校併設認可、第1校舎竣工、1948年 育友会(PTA)結成、新制高校設立認可、1950年 新制専攻科(家政科・英文科)開設、1955年 甲南女子短期大学開学、家政科を開設、1956年 短期大学に国語科を開設
日本軍が発信したプロパガンダラジオ放送、
女性アナウンサーの声が南太平洋の戦艦へ届く
第二次世界大戦中、ラジオ・トウキョウから発信された音楽番組「ゼロ・アワー」は、前線の米軍兵士をホームシックにさせることが目的だった。日系米人の女性アナウンサーが起用され、その美声を聞いたアメリカ軍将兵の人気を得る。顔の見えない彼女らを将兵たちは「東京ローズ」と称していた。
「リンゴの唄」、「東京ブギウギ」、更生服、斜陽族、「サザエさん」、街頭テレビ、テープレコーダー
参考:20世紀メディア研究所「中国をめぐる日中米の第2次大戦の電波戦」Webサイト、Yahoo Japan「未来に残す戦争の記憶」Webサイト、千島土地株式会社設立100周年記念誌(千島土地株式会社/2012年)、電通「広告景気年表」Webサイト
1939
第二次世界大戦
1938
阪神大水害
1937
日中戦争
1931
満州事変
1929
世界恐慌
1927
金融恐慌
1926
大正天皇崩御、昭和天皇即位
1923
関東大震災
1920
戦後恐慌
第一次世界大戦後の20年、2つの新しいメディアが広く普及していった。1920年、アメリカ合衆国大統領選の開票結果を伝えるため、ピッツバーグで世界初のラジオ局が開局。以降、大量生産・大量消費経済を背景に、新たな情報を発信する媒体としてラジオが用いられた。日本では、1925年に社団法人東京放送局(現NHK)が日本初のラジオ放送を開始。また1915年に杉本京太が発明した和文タイプライターが、1920年代より公文書にも採用。2000を超える文字を取り扱うタイピストは、高給のため特に女性の人気職となった。
1920年に甲南高等女学校が開校。豊かな教養を身につけ、優れた品性を備えた気品ある女性を育成するため、徳育に重心を置いた教育が実践された。1924年に制服をセーラー服と制定したが、厳密に形を定めておらず、生徒は各自の判断で思い思いの制服を着ていた。
ほかにも… 1921年 校舎本館落成、1924年 校訓「清く 正しく やさしく 強く」制定、校章を象徴化、1926年 校友会を組織、1927年 校歌制定、家政科設置、1929年 校旗制定、1938年 阪神大水害で校舎埋没
女性の社会進出が加速。
花形職業はタイピスト
戦間期の日本では、第一次世界大戦の設備投資や好景気を背景に、社会で働く女性「職業夫人」が登場。「タイプライターの音がなければ事務室らしくない」と言われた時代、特に高い教養と技能を要するタイピストは職業婦人の憧れの的で、自活を求める「モダンガール」たちが活躍した。
モダンガール、モダンボーイ、ラジオ体操
参考:『オンリー・イエスタディ』(F.L.アレン、藤久ミネ訳/ちくま文庫/1993年)、『メディア技術史:デジタル社会の系譜と行方』 (北樹出版/2017年)、NHK 「NHKの沿革と放送史」Webサイト、千島土地株式会社設立100周年記念誌(千島土地株式会社/2012年)、電通「広告景気年表」Webサイト